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ニューコム (駆逐艦) : ミニ英和和英辞書
ニューコム (駆逐艦)[かん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
駆逐 : [くちく]
  1. (n,vs) extermination 2. expulsion 3. destruction 
駆逐艦 : [くちくかん]
 【名詞】 1. destroyer 
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 

ニューコム (駆逐艦) : ウィキペディア日本語版
ニューコム (駆逐艦)[かん]

ニューコム (USS Newcomb, DD-586) は、アメリカ海軍駆逐艦フレッチャー級駆逐艦の1隻。艦名は米西戦争で活躍した代将にちなむ。
==艦歴==
ニューコムはボストン海軍工廠で1943年3月19日に起工し、7月4日にC・C・ボウマン夫人によって進水。艦長L・B・クック中佐の指揮の下1943年11月10日に就役する。
就役後、ニューコムは西インド諸島での整調を終えたあと太平洋方面に回航され、1944年4月4日からは日本軍が残っていたミリウォッジェジャルートの各環礁近海での対潜掃討に従事。5月29日から8月5日の間は第56駆逐部隊旗艦〔#木俣潜 p.648〕としてサイパンの戦いおよびテニアンの戦いで火力支援部隊の護衛に任じる。そのさなかの6月22日朝、ニューコムは掃海駆逐艦(''USS Chandler, DMS-9'')とともに輸送船団を護衛中、ソナー伊号第一八五潜水艦(伊185)を探知する〔。ニューコムとチャンドラーは3時間近くも爆雷を投下し、やがて伊185からの残骸と油を確認、これが伊185の最後であった〔。サイパンの戦いは、7月4日に日本軍のバンザイ突撃で事実上終わった。
8月中はエニウェトク環礁ツラギ島に回航され〔#Newcomb〕、9月6日から10月1日まではペリリューの戦いに加わり、引き続き火力支援部隊の護衛を行う一方で自らも23発の砲弾を日本軍拠点に撃ち込み、また水中爆破班の支援にあたった。10月12日からはレイテ島の戦いとその事前攻撃で水中爆破班支援と妨害のための夜間照射を実施した。10月25日未明のスリガオ海峡の夜戦では、ニューコムはリチャード・P・リアリー (''USS Richard P. Leary, DD-664'') およびアルバート・W・グラント(''USS Albert W. Grant, DD-649'')を従えて西村祥治中将率いる日本艦隊に正面から突撃する〔#木俣戦艦 pp.568-570〕。ニューコムは魚雷を5本発射し、うち1本は戦艦山城に命中したと判定された〔#木俣戦艦 p.569〕。ところが、断末魔の山城からの反撃を受けたため魚雷発射後に即座に反転して北方に向かい、ニューコムとリチャード・P・リアリーは被弾しなかったが、アルバート・W・グラントには山城からの副砲弾が命中し、さらには味方の軽巡洋艦デンバー (''USS Denver, CL-58'') とコロンビア (''USS Columbia, CL-56'') からのものと思われる砲弾も命中して損傷した〔#木俣戦艦 pp.569-571〕。この古典的な海戦を含むレイテ沖海戦は、ダグラス・マッカーサー陸軍大将のフィリピン帰還を手厚く助け、一方で日本海軍の脅威にピリオドを打った。海戦の後、ニューコムはアルバート・W・グラントに救護班を派遣し、動けないアルバート・W・グラントを曳航して戦場から後退した〔#木俣戦艦 p.572〕。アルバート・W・グラントの損傷があったとはいえ、ニューコム、リチャード・P・リアリーとアルバート・W・グラントの山城への突撃こそ、世界戦史上最後の戦艦への駆逐艦の突撃である〔。
フィリピン水域においてニューコムは、しばしば神風の脅威にもさらされ、その合間を縫ってフィリピン各地の奪回作戦に参加。12月9日のオルモック上陸作戦では上陸部隊の掩護を行い、ミンドロ島の戦いの従事中の12月19日から12月24日には激しい神風攻撃から船団を守り通した。1945年1月6日のリンガエン湾上陸当日にも神風攻撃にさらされ、ニューコムには神風ではなく味方の対空砲火の流れ弾が命中して損傷し、戦死2名、負傷15名を出した〔#森本 p.181〕。1月24日までリンガエン湾で支援を行ったあとウルシー環礁に移り〔、2月10日から3月10日までは硫黄島の戦いに参加。2月25日に潜水艦を探知して攻撃を行ったが、その結果はわからなかった。
3月21日、ニューコムは沖縄戦に加わるためウルシーを出撃し、沖縄戦開始後は伊江島近海で水中爆破班と掃海部隊の支援に従事。4月6日午後、日本軍は菊水一号作戦を発動して神風を大量投入。空は少なくとも40機はいるであろう神風と、対空砲火からの黒煙で埋め尽くされていた〔#ウォーナー下 p.31〕。ニューコムは高速で回避運動を行い、16時25分と17時には神風を撃墜〔#ウォーナー下 p.32〕。いったん神風の飛来が止まったので、ニューコムはモートン・デヨ少将の火力支援部隊に合同するため25ノットの速度で航海を開始した〔。しかし、中休みは間もなく終わり、対空砲火から逃れていた神風が突入してきた。ニューコムは対空砲火を撃ちあげたものの、1機がニューコムの二番煙突に突入し、間を置かず2機目がニューコムの砲塔に、3機目が船体中央部にそれぞれ命中してニューコムの船体中央は火を噴く廃墟と化した。「難破船荒らしに襲われたかのように」〔#ウォーナー下 p.33〕不随となったニューコムに対して4機目の神風が船体中央部に突入し、火勢を強める役割を果たした〔。僚艦ロイツェ(''USS Leutze, DD-481'')が消火のためニューコムに横付けしたが、この時、新たな神風がニューコムに突入しようとしていた〔。ニューコムは辛うじて一番砲塔が人力での操作が可能であり、偶然5機目の神風がいた方角を向いていたためそのまま発砲〔#ウォーナー下 p.34〕。しかし、5機目もニューコムの中央部に命中し、弾みでロイツェの艦尾にも命中して損害を与えた〔。完全に動力を失ったニューコムは戦死18名、行方不明25名、負傷64名を出し、(''USS Beale, DD-471'')の護衛と艦隊曳船(''USS Tekesta, ATF-93'')の曳航により慶良間諸島の泊地に向かった。
ニューコムは工作艦 (''USS Vestal, AR-4'') によって6月14日まで仮修理が行われたあと、サイパン島真珠湾を経て8月8日にサンフランシスコに到着。しかし、間もなく戦争が終わり、修理は行われなかった。ニューコムは1945年11月20日に退役し、1946年3月28日に除籍。その後、1947年10月にメア・アイランド海軍造船所で解体された。
ニューコムは第二次世界大戦の戦功で8個の従軍星章を受章し、とを1つずつ受章した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ニューコム (駆逐艦)」の詳細全文を読む




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